音楽的断層: SEEDA&VERBAL

Posted on 07/23/2012

SEEDAVERBAL

image via barks.jp, avex network

現代、チャートを賑わせるポピュラーな日本の音楽は、大部分が輸入音楽を日本で再構築したものだ。2000年前後にお茶の間へ届き始めたヒップホップもその一つだろう。但し、届いたというのはチャート上のお話だ。

ラップでのディスとアンサーは、一つのヒップホップ・カルチャーである。ラッパーのSEEDAが「TERIYAKI BEEF」という曲で、TERIYAKI BOYSを痛烈にディスったことがあった。その際メンバーのVERBAL(m-flo)はラップでアンサーすることなく、自身のポッドキャストの番組にSEEDAを呼び、対話を行った。その理由は、TERIYAKI BOYSやVERBALのファンはディスをヒップホップのカルチャーとして理解していない人が多く、アンサーを返しても自身のファンが置いてけぼりを食らうから、ということであった。対してSEEDAは、あくまでも曲でアンサーを返せ、という主張だった。

VERBALの行動からは、日本にてヒップホップと呼ばれる音楽はヒットしたが、大衆にはヒップホップ風な音楽が伝わっただけで、ヒップホップ自体は広く伝わっていない、という認識が読み取れる。VERBALとSEEDAに共通していたのは、ヒップホップをやっているという自覚と、ヒップホップを伝えようとしている意思だ。ただ、先の話はアプローチの違いを表している。SEEDAはあくまでも、本来のヒップホップ・カルチャーに忠実であれ。自分にとってオリジナルでリアルなヒップホップをやるだけ、ということだ。対してVERBALは客観的にヒップホップのマーケットが未成熟であることを認識した上で、大衆向けに分かりやすく伝えていこうとしている。

結局二人は互いに、言っていることはわかるがあんたとは違うんだ、という具合だった。しかしある意味彼らは、海外より伝わったヒップホップを日本で伝えるために必要不可欠な、異なる役割をもった二人なのだ。VERBALが間口を広げ、SEEDAが深みを見せる。知らないものが海を越えて渡ってきたら、それを翻訳してわかりやすく伝えなければならないのも最もだ。一方その引用元を徹底的に追究し、日本人としてどう表現していくかを見せていくことも必要。異なる役割を互いに持つだけで、目的は同じだ。

メディアには、VERBALとSEEDAのどちらかだけに偏って分離してしまわないように、この二層をうまく説明して繋がなければならない役割がある。また、聴き手はこれだけ外来種の音楽が混ざり合って存在している恵まれた環境で、様々な音楽に触れる好奇心と、興味を持った音楽は掘り下げる追求心を持つべきだ。ヒップホップに限らず、数多の外国産音楽を拝借してきた日本だからこそ、この違ったアプローチで多種多様な音楽を伝え、理解していけば、日本の音楽文化は更に発展を遂げることだろう。

最後に、SEEDAもVERBALも違うけど熱いことは間違いない! でも個人的にはSEEDAのスタンスがいい。表現者という点に限定すれば、SEEDAでいるべきだ。

Be the first to leave a comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>