爽死:「宮沢賢治/眼にて云う」より

Posted on 07/07/2012

宮沢賢治

「死」という言葉ほど、全く異なる意味を含んだ言葉はないと思う。自分達が生きる中で直面する死はあくまで自分から見た、他者の死だ。恐らく我々が知る「死」とはそういった他者の死から見、知り、感じたことが基盤となっているのではないだろうか。そんな他者の「死」と、いつか迎える自分自身の「死」は、意味が絶望的に異なるのだ。

これは、宮沢賢治の、「眼にて云う」という詩。


だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです

この詩は他者の「死」と自分自身の「死」の、絶望的な違いをあまりにも見事に描いた一つの例ではないかと思う。人間は、自分自身の「死」があまりにも暗く理解不能であるがために、他者の「死」と相違ない表現をしてきたが、もしかすると「死」とは必ずしも痛ましく悲壮に満ちたことではないかもしれない。

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